2012年3月30日金曜日

単行本作業と原稿とネームと <1>



自分の単行本作業を終えてからは、次の原稿を進めていたのだけど、それも一区切りついたので、ネームや構想、資料読みなどをしに外へ出ました。
構想と書くとえらく大層に聞こえるかも知れない。早い話が気体とも液体ともエーテル体ともつかない「なにものか」をゲル状態にもっていくのが当面の目標です。つまり脳内は想像と多少の妄想(もしやこれがほとんどかも?)と、とぎどき思考の混合状態でうんうん唸っているわけ。

まちのカフェで、ラップトップに向かってキリッとおシゴト中のビジネスの人に混じって、ひとり開いたノートを前に、ぼさーーーーっと放心してる妙なのがいたら、この手の輩かもしれません。

2012年3月23日金曜日

「BABEL」第1集、4月27日にIKKICOMIXより発売されます。



新作「BABEL」第1集がIKKICOMIX(小学館)より来る4月27日に発売されます。
前作「白い本の物語」にひき続き「本」をモチーフにした漫画ですが、ちょっと趣向を変えてみました。
3月24日売りのIKKI本誌に担当E氏によるかっこいい告知ページが入りますので、どうぞご覧下さい。

2012年3月18日日曜日

「白い本の物語」から「BABEL」へ



長年、漫画にかぎらず、色んな本を手がけてらして、それこそ日々、活字やら紙やら印刷物にまみれていらっしゃる(他のものにもまみれていらっしゃいますが。。。)担当編集E氏。
お会いした時の「『白い本(の物語)』ってカンジの方ですねっ!」という最初のお言葉の衝撃は忘れられない。目下、「BABEL」の現場を間近にごらんになって、いったいどんなヤツだと見てらっしゃるのやら。。。その初印象はどう変化しているのだろうか。

前作の「白い本の物語」からつながる様にして始まりながら、すぐにがらりと違う方向へもっていっている。描き方は変わっている様に見えるけれど、実は、この「BABEL」も「白い本」も大元のところは繋がった、おなじことを描こうとしているのだろう。
ひとあし早く「BABEL」を読んで頂いたアニメ監督の神山健治さんの静かな、それでいて鋭い言葉に射すくめられた時の事も、ふかく私の印象に残るだろう。

2012年3月13日火曜日

引き続き担当Eです。

改めて、ご挨拶を。4月27日頃に描き下ろし第1集が刊行される、重松成美氏の作品『BABEL』の担当のEです。著者の重松氏が、かつて、フランスで「造本」について学んだ経験があるとのことで(もちろん、彼女のデビュー作『白い本の物語』にも、その造詣の深さは色濃く出てますが、今回の作品でもその部分は如何なく発揮されて…されるはずです…!!)、僕自身、ある意味本に携わる者として、大いなる興味を持って、本ブログを読ませてもらおうと思ってます!!僕自身は、本といってもハードカバーかソフトカバーか、くらいしか分からないわけですが…今は。はい。

初めまして、担当Eです。

担当Eです。 電子的にも、アナログ面でも分からないこと ばかりですが、本ブログ内を時々ヨチヨチ 歩かせて頂きます( ̄◇ ̄;)

2012年3月11日日曜日

本との距離



 自分用の辞書というものをはじめて手にしたのは、小学校に上がった時だった。

 書店で、これから店頭に並べられるのだろう、小学生向けの国語辞典と漢和辞典が、青い台車にブロックさながら小積まれているのを見かけたわたしに、国語辞典のずっしりとした厚みと重み、そしてそのとき感じた、新しいものへの興奮が鮮やかによみがえってきた。紙のケースに収められた辞典は、子供用とはいえ数冊でもけっこうな嵩になっている。どんな子どもの手で開かれるのかな。ぐうぜん目に留まった小学国語辞典を眺めながら、遠い記憶のなかの本棚を探るようにして、子どもの日の最初の辞典との出会いを引き出してくる。

 わたしに与えられた辞書は2色刷りで、大きめの活字がすこし厚めのページに整然と並んでいた。まだまだ世界は知らない言葉で満ち満ちていた。これで「大人の本」も読める。強力な助っ人を得たつもりだったのか、そんなことを無邪気に思って得意になっていたのがなつかしい。くりかえし繰り返し使っていきながら、すこしづつ、その感触や意味を自分に染み込ませていく言葉の魅力を、わたしはまだよく分かっていなかった。

 ひとり机について居ずまいを正したわたしは、まだ開かれたことのない自分の国語辞典をばらばらとやってみた。ぴんと張りのある紙からはインクの匂いが立って、わたしは飽きずに繰り返しページをめくっていた。開いてみては閉じ、また開き。と、何かの拍子に一瞬、指先に鋭い熱が走り、あっと辞書を手放した。紙で指を切ったのだ。見ると人差し指に細く赤い線が走っている。そこからじわりと血がにじんだ。鋭い痛みはもちろんだったが、紙というたよりなくて弱いと思っていたものが肉を切ったという衝撃で、言葉が出なかった。それまで手の内で大人しくされるがままになっていたのが、ついにしびれを切らして噛み付いてきたようだった。

 それから幾冊と国語辞典も渡り歩き、使う辞書の種類も増え、それらの辞書を時には引きながら、様々な本を体験してきたけれど、あの日の、はじめて辞書を所有して有頂天になって、どんな本でも読みこなせると錯覚したところに、冷や水を浴びせかけられた思い出は印象深い。そのとき子どもながらに思った。本との付き合いには油断がならない、ゆめゆめ忘るまじ、と。
 ぼとり、と乱暴に投げ出された辞書のたてた鈍い音が、こだまのように今でもわたしのなかに響いている。

2012年3月5日月曜日

ページをくるにつれて



「fil」は「糸」というフランスのことば。
細くのびた長い糸は、ふたつのものをしっかり、また時にはゆるやかに結びつける。
何かと何かの間をつなぐもの。
あるものとあるものが出会うと、そこに生まれた関係から密やかな物語が立ち上がってくるようだ。
日本語の「糸」も、フランス語の「fil」も、「流れ」や「筋」という意味を含んでいるのもうなずける。

白いページには折々に興味をひかれたあれこれを書きつけたり、イメージを貼り付けたりしよう。
時にはこれまでにわたしが出会ってきたひと達やものごと、訪れた場所の記憶をスケッチしてみよう。
ページからページを旅するように。

雑多な記録たちはページをくるごとに一本の糸で結びつけられ連なりあって、ひとつの軌跡を描くだろう。
そうしていつしか何ごとかを語りはじめるのかもしれない。

それは、駅から駅へとを繋いでいく鉄道の旅のような、あるいは綴じ合わされた一冊の本のような姿をしているのだろうか。