2012年3月11日日曜日

本との距離



 自分用の辞書というものをはじめて手にしたのは、小学校に上がった時だった。

 書店で、これから店頭に並べられるのだろう、小学生向けの国語辞典と漢和辞典が、青い台車にブロックさながら小積まれているのを見かけたわたしに、国語辞典のずっしりとした厚みと重み、そしてそのとき感じた、新しいものへの興奮が鮮やかによみがえってきた。紙のケースに収められた辞典は、子供用とはいえ数冊でもけっこうな嵩になっている。どんな子どもの手で開かれるのかな。ぐうぜん目に留まった小学国語辞典を眺めながら、遠い記憶のなかの本棚を探るようにして、子どもの日の最初の辞典との出会いを引き出してくる。

 わたしに与えられた辞書は2色刷りで、大きめの活字がすこし厚めのページに整然と並んでいた。まだまだ世界は知らない言葉で満ち満ちていた。これで「大人の本」も読める。強力な助っ人を得たつもりだったのか、そんなことを無邪気に思って得意になっていたのがなつかしい。くりかえし繰り返し使っていきながら、すこしづつ、その感触や意味を自分に染み込ませていく言葉の魅力を、わたしはまだよく分かっていなかった。

 ひとり机について居ずまいを正したわたしは、まだ開かれたことのない自分の国語辞典をばらばらとやってみた。ぴんと張りのある紙からはインクの匂いが立って、わたしは飽きずに繰り返しページをめくっていた。開いてみては閉じ、また開き。と、何かの拍子に一瞬、指先に鋭い熱が走り、あっと辞書を手放した。紙で指を切ったのだ。見ると人差し指に細く赤い線が走っている。そこからじわりと血がにじんだ。鋭い痛みはもちろんだったが、紙というたよりなくて弱いと思っていたものが肉を切ったという衝撃で、言葉が出なかった。それまで手の内で大人しくされるがままになっていたのが、ついにしびれを切らして噛み付いてきたようだった。

 それから幾冊と国語辞典も渡り歩き、使う辞書の種類も増え、それらの辞書を時には引きながら、様々な本を体験してきたけれど、あの日の、はじめて辞書を所有して有頂天になって、どんな本でも読みこなせると錯覚したところに、冷や水を浴びせかけられた思い出は印象深い。そのとき子どもながらに思った。本との付き合いには油断がならない、ゆめゆめ忘るまじ、と。
 ぼとり、と乱暴に投げ出された辞書のたてた鈍い音が、こだまのように今でもわたしのなかに響いている。